境内の百日紅(サルスベリ)が鮮やかに咲き誇り、参拝者の皆さまを温かく迎えるなか、8月15日、16日の両日、仮本堂において盆会を営みました。

大変な暑さの中、多くの皆さまにお参りいただきましたこと、心より厚く御礼申し上げます。

今年度の盆会は、呉市安浦町・信楽寺ご住職の廣幡康祐師をご講師にお迎えし、お盆のご縁を通してのお取次ぎをいただきました。

ご法話は、私たちが普段当たり前だと思っている「良いこと」「正しいこと」の裏側にある自己中心性を鋭く、しかし温かく暴き出し、参拝者一同が思わず「ハッ」とさせられる深い問いに満ちた時間となりました。
■ 心に響いた4つのご法話
一、台風の進路がそれた先に、誰かの犠牲があるのではないか
台風が日本に近づくニュースを見て、私たちは思わず「どうかあっち(別の進路)へ行ってくれ!」と心の中で念じたり、祈ったりすることがあります。
しかし、「もし『あっちへ行ってくれ』という願いが叶えば、あっちの誰かが困るということでもある。結局は『自分たちさえ幸せなら、他者はどうなってもいい』という、私たちの身勝手なエゴの現れではないか」と指摘されました。
お盆とは、単に「自分は無事でよかった」と胸をなでおろす日ではなく、そうした自己中心的な我が身のあり方を「我がこと」として厳しく問い直していく、出発点であることを教えていただきました。
二、目連尊者の母が餓鬼道に落ちた「本当の理由」
お盆の由来となった『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』のなかで、目連尊者のお母さんが餓鬼道に落ちて苦しむお話があります。
一般的に「餓鬼道に落ちるのは貪り(むさぼり)の心があるから」と受け止められがちですが、廣幡師はさらに一歩踏み込んでお話しくださいました。
お母さんが餓鬼道に落ちるほど執着を募らせたのは、他でもない我が子(目連尊者)を一番に思うあまり、よそを排除してでも我が子だけを特別に愛そうとした「深い愛着」ゆえでした。
母を救いたいと願う目連尊者は、お釈迦さまの勧めにより多くの僧たちに供物を捧げる法要を大がかりに準備するなかで、「母は、私を育てるために欲を張り、餓鬼道に落ちてくださった。私の存在そのものが、母を餓鬼道に落としていたのだ」という事実に気づき、母から注がれていた計り知れない想いに目覚めるのでした。
お盆は、単なる亡き人を追悼する形式的な行事ではなく、先立たれた方々が私をどれほど温かい願いで包んでくださっていたかに気づかされる大切なご縁です。まさに、今生かされている我が身の尊さ、「おかげさま」への目覚めを大切にしたいと思えるお話でした。
三、「五戒」は私たちを縛る禁止事項ではなく、自由への「願い」である
仏教には5つの戒め(五戒)があります。私たちはこれを聞くと、禁止事項や行いを縛るルールのように感じてしまいます。しかし、これは「人間が本当に自由になるための解放の願い」であるとお話しくださいました。
- 不殺生(殺してはならない):私たちは本来、他者を殺さなければ生きていけないような、野蛮な存在ではないはずだ、という人間への信頼。
- 不偸盗(盗んではならない):私たちは他者のものを奪い、犠牲にしなければ満足できないような、貧しい存在ではないはずだ、という語りかけ。
- 不邪淫(道徳に反する過ちを犯さない):私たちは、道理を外れたり誰かを傷つけたりしなければ幸せになれないような、寂しい存在ではないはずだ、という呼びかけ。
- 不妄語(嘘や悪口、無意味な言葉を言わない):人を騙したり、悪口を言って相手を抑えつけたり、他者より優位に立とう(マウントを取ろう)としなければ自分を満たすことができないような、虚しい存在ではないはずだという問いかけ。
- 不飲酒(お酒を飲んではならない):お酒などで現実をごまかしたり何かに逃げたりしなくても、私たちは堂々と幸せに生きていける存在なのだ、という力強いエゴからの解放の願い。
これらは、私たちを「ダメな人間だ」と裁き、縛るための掟ではなく、「あなたらしく、互いに尊び合いながら、本当に自由に歩んでおくれ」という、お釈迦さまの温かい願いそのものでした。
四、親鸞聖人がお示しくださった「同行(どうぎょう)」の歩み
ご満座では、『歎異抄』第9条に描かれる、お弟子・唯円房との有名な対話が紹介されました。
「お念仏申しても、躍り上がって喜ぶような心が起きず、また急いでお浄土へ参りたいという心も起きないのはどうしたことであろうか」と問う唯円房に対して、親鸞聖人は「私(親鸞)も同じ思いでしたよ」と答えられます。
親鸞聖人は決して教祖として人びとの上に立つのではなく、同じように煩悩を抱えて悩みながら、共に生かされている喜びを「同行(どうぎょう)」として歩まれたお方でした。
「弟子一人も持たず」と仰った親鸞聖人のどこまでも平坦で温かい眼差しは、そのまま阿弥陀さまの平等な救いの眼差しそのものであり、大変豊かで尊い時間となりました。

この度の盆会は、終戦の日である8月15日から、宗祖親鸞聖人の月命日である16日にかけて営まれました。
平和を願い、すべてのいのちを等しく見つめ直す時間であるとともに、阿弥陀さまの願いをよろこばれた親鸞聖人のご生涯を尋ねるひとときでもありました。

先立たれた大切な方々が仏さまと成り、お念仏の声になって、いつでもどこでも私たちのもとに還ってきてくださる。それが浄土真宗の常盆の教えです。
皆さまと共にお念仏申し、お育てにあずかれたこの二日間のご縁に、改めて深く感謝を申し上げます。