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法座

安居会

6月15日、16日の両日にわたり、安居会(あんごえ)の法座を営みました。
安居会とは、虫たちが地中から出てくるこの時期に、小さな命を踏むような殺生を避けるため、僧侶たちが一箇所に集まって仏法を学び合う仏教行事にちなんだ法会です。


このたびは、高山泰秀師(湯来町・一松寺)より、「高座説教」の形式でお取次をいただきました。

お説教は、他人のきらびやかな生活と自分を比べて息苦しさを覚える現代の苦悩のお話から始まりました。
しかし阿弥陀さまから見れば、私たちは皆等しく「生老病死」を抱えた「衆生」。その如来さまからのあたたかな目線に気づくとき、「まあええか」と肩の力が抜け、生きる喜びが増していくと教えられました。

高座での3座のお説教を通して、如来さまのお慈悲の深さを伝える三つの因縁話も語られました。

初座では、夫に頼まれ隣町のお寺に来られる勧学和上のお説教へ一週間の聴聞に出かけたおばあさん。
一生懸命聴聞するも、説教の内容をすべて忘れて涙しますが、仏壇の前で無意識に「もったいない」と感謝のお念仏がこぼれ落ちます。夫は、その「南無阿弥陀仏」の声こそが、最高の土産話であり救いの証拠だと手を取り合って喜び合う物語。

2座目は、理不尽な世の中に絶望し、極悪人として処刑された「いかけ屋松五郎」の話では、石を投げる群衆の前に進み出て、我が子が地獄へ落ちるなら共に落ちようとする母の姿のお話。

ご満座では、愛娘を亡くし絶望していた無神論者の石橋医師が、聴聞を重ねる中で、娘がただ消えてしまったのではなく、親を仏法に導くという大仕事を成し遂げ、自身の称える「南無阿弥陀仏」の中に今も力強く生きていることを見出す物語が語られました。

私たちがいかなる境遇や深い悲しみを抱えていても、阿弥陀如来は「そのまま来いよ」とすべてを包み込んでくださいます。
人と比べて苦しむ現代だからこそ、お寺で変わらぬ如来さまのお慈悲を聞かせていただく尊さを噛み締める二日間となりました。

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