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法座

彼岸会

9月22日、23日はお彼岸の御法座でした。


この度のご講師は、樽谷和幸師(広島市東区・妙覚寺)



節談説教研究会にも所属していらっしゃる樽谷先生は、節談を交えながら、アミダさまのおこころを、情感豊かにお話くださいました。

『節談』は、ことばに節(抑揚)をつけ、聴衆の感覚に訴えかける詩的・劇的な『情念』のお説教です。
浄瑠璃、落語、講談、浪曲などの”話す芸”や”語る芸”は節談の説教から強く影響を受けて成立していったものであると言われています。

節談は、真宗の伝統的なお説教の形態ではあるのですが、現代では講台と板書を用いたご法話の形が主流で、お聞かせいただく機会はあまり多くありません。
そこで、最後の御満座の席では、普段の講台を収め、高座を据えて、節談によるお話をいただきました。

大正八年製の高座。
作りがしっかりしており、非常に重たいため、1〜2人ではとても運ぶことができません。総代さんらのお力を借りて、高座を出していただきました。

いよいよお説教です。

高座に上がってお話しされると、遠くの聴衆までよく声が通ります。
高座で説教する形態は、マイクのなかった時代にお話を聞き取りやすくする工夫でもあったのでしょう。

最後は皆様と異口同音に領解文を出言

皆様、ようこそお参りくださいました。

法座を終えたあとは、皆様で再び力を合わせて高座を撤去してくださり、本堂の掃除もしていただきました。
有難うございました。

「彼岸会」への2件の返信

秋風が爽やかな日の彼岸会のご法座。いたずらをした子供が 父親に井戸の中に落とされようとしたその時 下免なさいと謝る子供。落としたらと開き直る子供。前者の子供が当たり前と思ってました。しかし絶対に父親は落とさない事への信頼関係。ご講師の話されたように 物事見方によって全く違う方向が見えてくる。心に留め置きたいと思います。

ハッとさせられ、視野がひとつ開かれるお話でしたね。
仏さまの教えを聞くなかに、自分の固定概念がほどけていく瞬間をいただくことが多くあります。
ついその後で考え方を自分の常識で結び直したりもしてしまうんですけど、繰り返しほどいて、やわらかく味わう世界が開かれていくことが、お聴聞の醍醐味のように思っています。
この度もようこそお参りくださいました。

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