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徳正寺仏教壮年会『仏教講座』

11月21日(日)、徳正寺仏教壮年会の主催の『仏教講座』が開催されました。
仏教壮年会の会員さんに向けた講座ではありますが、仏教婦人会の皆様をはじめ、有縁の方々にもご縁にあっていただけるよう、公開講座として開催させていただきました。

おかげさまで、多くの方々がご参詣くださり、満堂のなかでの開催となりました。

開会にあたって、仏教壮年会の会員・節原さんの調声のもと皆さんで讃仏偈をお勤めさせていただき、厚朴会長より挨拶をいただきました。

引き続き、住職が挨拶、若院がご講師の紹介をさせていただき、住職の伴奏のもと、皆さんで真宗宗歌を唱和しました。

そして、いよいよ、ご講義をいただきます。
ご講師は、広島市西区・善法寺よりお越しいただきました、前田純代師です。

中國新聞の洗心欄で『だいじょうぶ だいじょうぶ』の連載をされていることから、ご存じの方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

この度のご講義では、前田師が僧侶になられる経緯をはじめ、その過程においての気づきなどをお話されながら、仏さまの教えを聞き、お念仏の教えに生きる方のもつ雰囲気をお伝えくださいました。

その中で、ご自身のご経験を踏まえながらお話くださった例話のひとつをここにご紹介させていただきます。


『仏法を聞く者は、第一の矢は受けても第二の矢は受けない』

不幸にして、矢に打たれた人がいる。このときに人がとる対応は二種類にわかれる。
ひとつは、取り乱し、慌てふためき、第二の矢を受けてしまう人。
もうひとつは、矢に打たれても冷静に痛みに耐えて動揺せず、第二の矢をかわすことの出来る人。
 
仏の教えを知らない者が、第二の矢を受けてしまう人。
身体の苦しみにとらわれて「さらに苦しいことがあるかもしれない」と想像を巡らせていくことで、迷いの心を深め、身体だけでなく心にまで多くの矢を受けて苦しんでいく。

仏の教えを知る者は、第二の矢を受けない人。
身体に苦しみを受けても、ありのままを受け入れ、心まで苦しみにとらわれることは無い。

この例話をもとに、身体に不調があると お医者さんから「大丈夫」といわれても信じることができず、「大きな病気かもしれない」と自分で勝手に不安を作り出して、心に受ける矢があることを、お話しくださいました。

その他にも、仏法を通して開かれる視野を多く感じさせていただくご講話で、ご参詣の皆様とともに有り難く聴聞させていただきました。



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