4月19日、20日は永代経のご法座でした。
昨年秋の永代経と同様に、勤行は全座『仏説阿弥陀経』にておつとめいたしました。
お説教のご講師は、寺西龍象師(呉市川尻町・真光寺ご住職)。
お説教のなかで、『窮すれば通ず』というが、窮する(=通じなくなる)のにどうして通じるのでしょう?と、問いかけられます。
実は、『窮すれば、転じ、通ず』(行き止まりになったとき、方向を転換することで道が開ける)と、『転じ』の一言が足されることで完成する言葉であるとお話くださいました。
そして、仏教とは、迷いが転じられ、悟りへの道が開かれていく『転迷開悟』の教えであるとお示しくださいました。
その上で、お経の成り立ちや、親鸞聖人のお書きになられた『教行信証』、また『歎異抄』さらには『御文章』も、異議(まちがった教えの受け取り方)が生じたために書かれたものであることを示されました。
その上で、「その異議があったからこそ、今私たちに教え届けられることになったとも言える」というお話をいただきました。
そこに、教えがここに伝わるまでの、様々なご縁の深さを感じさせていただきました。
永代経と言いますが、『永代経』というお経があるわけではありません。
厳密に言えば、「永代読経」…永代にわたって、お経が読まれ相続されていくことを願って勤められるご法座であり、これまでも永きにわたってお経が読み伝えられてきたことをよろこばせていただくご法座です。
お経を私たちに伝えてくださった、先人たちのご遺徳に思いを向け、お念仏させていただく尊いご縁でした。
「永代経法座」への2件の返信
今回 お友達を誘い初めて 永代経法座へ参加しました。ご講師は川尻町真光寺住職 寺西龍象師。 なんと! ご講師がお友達の同級生。お友達の実家のお母様の葬儀でお世話になられたそうです。何という ☆ご縁でしょう☆
ようこそお参りくださいました。
とても、不思議なご縁でしたね。ご講師さんも再会を喜んでいらっしゃいました。
また、ぜひお誘い合わせの上、お参りください!